こんばんは。
アシスタントの佐野です。
いよいよ今週末に迫ったトップリーグ開幕。
開幕前に浅原拓真選手にインタビューするため、日野レッドドルフィンズのグラウンドにお邪魔してきました!
昨年の春、東芝ブレイブルーパスから日野レッドドルフィンズへの移籍。
同時に、社員選手からプロ選手へ。
日野の選手として初めてのシーズンを迎える前に、これまでのラグビー生活の振り返りと、今後の展望をじっくり聞かせてもらいました。
➖幼少期はどんな子どもでしたか?
「姉ちゃんが僕2人いまして、末っ子長男ということでたぶんすごくわがままな子だったと思うんですけど、よくニコニコしてるねって言われる感じだったと思いますけどね。あんま覚えてないっす(笑)」
➖反抗期はありましたか?
「真ん中の姉ちゃんが、すげえ反抗期で、俺はこうだけにはなりたくないと思って反抗期はなかったっす(笑)」
➖ラグビーはいつから、どんなきっかけで始めたのでしょうか。
「小学校1年生の時に僕の叔父が望月大和っていうんですけど、ラグビースクールを立ち上げると言って、そこで拓真も入るんだよって言われて入ったのがきっかけですね。他に習字と水泳を小学校6年生までやっていました。中学はバスケ部に入って他のことをやっている暇もなかったので、ずっとバスケをやってという感じですね。」
➖高校はなぜラグビー部に?
「高校からまたラグビーをやろうとは思っていたので、そこはすんなりラグビーしましたね。」
➖甲府工業高校時代の練習はきつかったですか?
「きつかったっすね。体育会でよくある『絞り』みたいなのもあったり。先輩が全員帰らないと1年生は帰れないっていうしきたりがあって。早く帰れよって思ってましたけどね。」
➖ほぼ男子校に近いですよね。
「そうですね、クラスに2人女子がいて、1人辞めちゃったので。クラスに1人女子ってどういうことみたいなね(笑)楽しかったすけど、はい(笑)高校は甲府の街中にあったので、みんなで駅ビル行ったりしてましたけど、何して遊んでたんだろう(笑)僕は服が好きなので、服好きなやつと古着屋行ったりとかしていましたね。」
➖「元センター」の文字を浅原選手の紹介文で目にすることが多いのですが、センターからプロップにポジション転向したのはいつ、どんなきっかけがあったのでしょうか。
「センターはですね、半年くらいしかやっていないです。足も速かったっちゃ速かったので、バスケやっていて器用だったというのもあるんですけど、バックスの時は全然ついていけなかったっすね。普通にフォワードやって、ロックとか。高校3年生の時にはエイトとかやって、その時にまだスクラムは組んだことがなかったんですけど。大学で法政に誘っていただいた時に、『プロップなら入れるよ』という感じだったので、『じゃあもう是非是非プロップいきます』みたいな感じでやり始めましたね。」
➖プロップに固定になったのは大学に入ってからということですか?
「まさにそうですね。日和佐(法政大学の同期。現神戸製鋼コベルコスティーラーズ、日和佐篤選手)が今でもよく言うんですけど、高校3年生の時に法政のセレクション合宿があって、その時に僕、めちゃくちゃ動けたんです、102kgだったし。『なんやあの動けるプロップは』ってすごい衝撃だったらしいです(笑)」
➖なぜ法政大学を選んだのでしょうか。
「それもまた、ご縁があって。山梨に羽中田譲さんという方がいて法政のセレクターをやっていらして、その方が見てくれて、『法政に興味あるならセレクション受けてみないか』って声かけて頂きましたね。」
➖他の大学と悩んだりはしましたか?
「なかったすね。山梨学院大学と流通経済大学が声をかけてくれたりしていたんですけど。他はそんなになかったので。そこで法政から声がかかったので、っていう感じですね。」
➖決め手はレベルですか?
「まあでも…、当時の法政のジャージが格好良かったから(笑)」
➖あのオレンジと青の…珍しいですね(笑)
「(笑)ちょっとちょっとおかしいな、それ(笑)今ちょっと色が変わってしまったんですけど当時は鮮やかな青とオレンジでね、襟が白で短パンが白で、格好良かったんすよこれが〜。当時すごく強かったしね。」
➖大学時代はどんな思い出がありますか?
「ラグビーもそうなんですけど、めちゃくちゃボロい寮だったんですよ、山の中にある。そこでみんなでワチャワチャ楽しかったのがすごい思い出ですね。最終的にはベストエイトで終わっちゃいましたね。3年生の時にベスト4に行って慶応に負けて。(慶應大学側で)日野のキャプテンの村田毅とか、東芝にいる増田慶介とかその試合に出てたので今でも結構話になりますね。すごい良い試合だったので、慶応の選手も法政に勝ったらすごい上まで行けるぞと気持ちを込めて戦ってくれたのですごい嬉しかったです。」
➖トップリーグを目指すのは自然な流れでしたか?
「自然でした。高校の三者面談の時に、『僕はトップリーグでやろうと思ってます』みたいなことを言って、ちょっと笑われたんですけどっていう感じですね。だからもうトップリーグではずっとやろうと思っていました。」
➖色々誘いがある中で、東芝ブレイブルーパスに決めた理由はどんなところでしょうか。
「やっぱり東芝は絶対王者みたいな風格がありましたし、僕がすごく行きたかったチームだったんですよね。いろいろ声かけて頂いて、最後に東芝に声をかけて頂いて『宜しくお願いします』という感じで、迷いなく『ありがとうございます!』と。その当時の法政の駒井孝行監督にすごいお世話になって、東芝が声をかけてくれたのは本当に最後の最後で、僕は他のところに決めてしまおうかと思ってきた時に止めて頂きました。」
➖憧れの東芝に入団してイメージとのギャップはありましたか?
「全くなかったすね。東芝のああいう固いガチガチのプレースタイルというのは練習によって築き上げられているものだなというのをすごく実感しましたね。1日にしてならずだなとすごく思いました。」
➖東芝時代大変だったことは?
「やっぱり自分の弱いところを強化するにあたって、刀を研ぐみたいに、熱してカチンカチンと打たれるみたいに、たたかれたんですよ僕も。それがすごい辛くて、試合よりも練習が嫌だったんですよね、試合だったら別にそんなに言われないから。すごく大変だったんですけど、今思うとめちゃくちゃありがたかったですね。」
➖楽しかったことも沢山ありそうですね。
「めちゃくちゃありますね。こんな公の場では言えないことがいっぱいあるんですけど(笑)東芝は良いのか悪いのかわからないですけど皆んなよく試合後に酒を飲むんですけど、今日の試合どうだったああだって言ったり、くだらない話をしたのがすごく楽しかったですね。」
➖東芝の選手にインタビューすると、すごくチームのことを意識していたり仲間想いなコメントが返ってくるですが、何故だと思いますか?
「馬鹿が多いので(笑)いつもサントリーと比べちゃうんですけど、サントリーとかはスマートなシュッとした選手が多いんですけど、東芝って髭面のずんぐりむっくりみたいなのが多くて馬鹿ばっかりなんで楽しいっすね(笑)」
➖喧嘩はしましたか?
「練習中めちゃくちゃしてましたね。で、摑み合いとか殴り合いぐらいになっても練習が終わったら歳下が謝りに行くみたいな。それが東芝のすごい良い文化でグラウンド内だけです。」
➖2年目から公式戦全てに出ていましたが、印象的な試合をあげるならどれでしょうか?
「いっぱいあるんですけど、2年目の開幕戦のスタメンが決まった時に瑞穂でトヨタ戦。当時和田賢一監督だったんですけど、僕がガチガチにすごく緊張していて、皆んなにそれが伝わってたんでしょうね。和田さんが僕のところに来て、和田さんてそんなに笑う…笑うんですけど『バズ、きい抜いていけよ』って言ってくれたのがすごい今でも印象に残っています。救われたというかリラックスできましたねあれは。なんであんなにガチガチに緊張したんだろうってくらい。それはすごい覚えていますね。」
➖試合に出続けていたのは、どんなことが評価されていたからだとご自身では感じますか?
「やっぱりスクラムだと思いますね。僕が東芝の3年目の時に東芝のジョー・バラカット(現NTTコミュニケーションズ・シャイニングアークスアシスタントコーチ)っていうFWコーチがいて、僕のスクラムを強くしてくれて、そっから僕はすごくスクラムに拘るようになりました。そして湯原(東芝ブレイブルーパス湯原 祐希選手)っていうフッカーもいたので、今の自分の実にもなっていますし、それでだと思いますね。」
➖トップリーガーとして10年目。その10年の波をどのように感じていますか?
「上がったり下がったりありましたね。難しかったですね、東芝でバーンて活躍して、代表に行ってハードワークして、東芝に戻るとラグビーが全然違うから苦戦したりとか、上手くミックス出来ていないかったのはすごくあるし。けど常にハードワークしてきたのはありますね。」
➖ワールドカップカップイヤーだった2019年も春まで代表活動をしていましたが、メンバー外となった時はどのように知らされて何を感じましたか?
「通訳の方から連絡があって。ジェイミー(ジェイミー・ジョセフ日本代表HC)からですよ、みたいな文面で来て。『今回は42人には入れませんでした、でもまだサンウルブズで南アフリカからのアルゼンチン遠征が残っていたので、それでアピールしたらまだチャンスはあるので頑張って下さい』みたいな感じで来たんですよね。『ワーー』ってなったのと同時にまあ…まあそんな感じだろうなっていうのは予想がついていたので、ダメージはくらいましたけど、そこまでこう、思った以上ではなかったですね。」
➖2015年も同じ経験がありましたが、その時とはまた違いましたか?
「2015年の時にはまだ若くて、(日本代表が)負ければ良いのにと思っていましたけど、今回は日本代表が背負っているものが、日本開催でベストエイトがマストぐらいな感じで言われていたので、それを僕らもひしひしと感じていたわけですよ、やらなきゃまずいっていうのは。僕は(代表から)外されちゃいましたけど、その使命を背負っているのは知っているから応援しか本当になかったですね。僕もラグビー選手だし、日本代表がベストエイトに行けないというのはすごくまずいことだから、『頼む行ってくれ』っていうのは本当にありました。悔しさは正直ゼロでしたね。31人が選ばれた時には普通にネットで見て『ワーこいつが入ったかー、こいつが外れたのかー!』とただただファンみたいにやっていました(笑)」
➖日本中がラグビーにはまっていく様子をどのように見ていましたか?
「ありがたかったっすね。今まで観てこなかった人に、『これがラグビーだ』みたいなインパクトを与えられていたのですごい嬉しかったですね。」
➖ジャパンの活動で今どんなことが活きていますか?
「ラグビーの厳しさをすごい教えてもらって、生半可にやってたら生半可にしか結果が出ないってのをすごく感じましたね。僕はワールドカップに出れなかったんですけど、すごいハードワークは出来た自負があるので、そこはすごく活きていますね。ハードワークしたら返ってくるものがあることは実感しました。」
➖浅原選手には、東芝へのチーム愛もメンバー愛もとても強い印象があったので、とても意外な移籍でした。いつ頃から考えていたのでしょうか。
「それはサンウルブズに入ってから。東芝は当時、日本人のプロがいなくて。全く別の世界だったんですけど、やっぱりサンウルブズに入って日本人プロの選手と一緒にやるようになって、こういうラグビーに携わる手段もあるんだなとすごく感じて。サンウルブズと東芝の行き来で、東芝にいてパフォーマンスがあんまり良くなくなってきちゃった時に、これは変える必要があるなっていうのがあって。」
➖東芝の退団はまずどなたに話しましたか?
「高木(高木貴裕ヘッドオブマネージメント)っていう入社同期が当時GMで、『実は』って言って。そっから監督に話して。途中から僕がズバッと抜ける形だったので(チームメイトには)なかなか言えなかったっすね。話が決まってから、スマンという形でラインをしたり電話をしたり直接会って伝えたりでした。ラグビー選手としてもうひと咲きしたいという時に、こういう手段しかないとは思っていたので…それを理解してくれた東芝にはすごい感謝しているし、大好きです今でも。」
「日野っていうのは、僕が(東芝退団の)リリースをバーンて出させて頂いた時に、最初に『浅原来いよ』と言ってくれていましたし、僕はまだ府中に住んでいるのですごくアクセスも良いし、何より今からのチームじゃないですか。そういうのも僕はすごく魅力を感じて決断しました。」
➖移籍やプロ生活に関して不安はありましたか?
「サンウルブズとか行ってたので、そういう生活に慣れているというか、そんなになかったっすね。」
➖初めて日野の練習に参加した時はどんな印象を受けましたか?
「どんな感じだったんだろ。いっぱい知っている選手いるなあって感じで(笑)木津とか、毅、堀江、デュークとかニリ・ラトゥとかリアキ・モリとかめちゃくちゃ知っている人いるやんと、すごく楽しかったですね、ワクワクしました。」
➖転校生のような感覚は全くなかったですか?
「なかったっちゃなかったですね。日野の選手もすごくあたたかく迎えてくれて、僕が楽天的だからあんま気づいてないのかもしれないですけど、すごい良い感じで迎えてくれたので全然大丈夫でした。」
➖プロ選手が多いチームに移籍しましたが、刺激になる選手はいますか?
「めちゃくちゃいますね、佐々木隆道、村田毅、堀江恭佑、木津武士…みんなそうですけど、意識高く『ラグビーとは』っていうのすごく突き詰めている選手たちなので、すごくためになるし勉強させられますよね。」
➖他のプロ選手の過ごし方を参考にしたり取り入れたことはありますか?
「堀江恭佑が身体バキバキでめちゃくちゃデカイんですけど、身体にすげえ気を使っているんすよ。食事とかにもすごい気を使っていて。僕、プロテインをあんま飲んで来なかったんですけど、堀江に『バズさん、プロテインは痩せるから飲んだ方が良いですよ』って言われて飲んでます(笑)何も疑わずにすぐ取り込んでいます(笑)堀江が言うにはプロテインを飲むだけでも脂肪が落ちていくらしいので、飲んでます(笑)」
➖理想のスクラムまでの道のりは?
「まだっすね。どことやってもそんなに押される感じは無いんですけど、もっと押したいですね。ガツーンと、それが今の理想ですかね。」
➖10年目の今、自身のどこに成長を感じますか?
「ゲーム全体は、少し見えるようになりました、スタンドオフみたいではないんですけど。流れが見えるようになって、そういう時に声をかけたりとかっていうのはベテランになっているのかなと思いますね。」
➖メンタルは安定している方ですか?落ち込むことはありますか?
「楽天的なので、落ち込まないってわけじゃないですけど『何とかなるかな』ってのはあります。」
➖この先のこともそのスタンスでしょうか。
「間違いないです。マジで何とかなるでしょうって思いながらやっています(笑)
常にハードワークしてたらそれが繋がると思うので。頑張って日野を強くしようというのが僕の中であります。」
➖プレーヤーとしてやり残していることはまだまだありますか?
「まだまだジャパン目指さなきゃ、やるからには。またジェイミー呼んでくれって感じなんですけど(笑)トモさん(トンプソン・ルーク選手)もきんちゃん(大野均選手)も代表に入ってましたし、やろうと思えばいくらでも出来るので。プレーヤーである以上は、しっかり上を見てやってきたいと思います。」
➖日野の選手として公式戦デビューとなる今シーズン。どんなことが楽しみでしょうか。
「日野としてはトップリーグベストエイトを目指して戦っていて、強豪相手にも絶対に勝ちに行くし負けられない戦いが毎週毎週続くので、そこでどれだけ僕らがチャレンジして上目指していけるかが楽しみだし、個人的には新しいチームでどれだけ存在感を出してアピールできるかっていうのがすごく楽しみですね。」
➖最後にファンの方に向けてメッセージをお願いします。
「日野レッドドルフィンズをぜひ応援しに来てください!個人的なことだと絵とかすごい描いているのでインスタ(@buzz_asahara )見てください(笑)日野は絶対楽しいラグビーをすると思うので、宜しくお願いします。」
(C)buzz_asahara
浅原選手と私は、年齢も出身地が山梨ということも現在の住まいも府中と、共通点が多いこともあり、インタビューには最多登場してもらっていますが、ここまでゆっくり話をしたのは始めてでした。
これからは日野の浅原選手の声を届けていきたいと思います!
ロングインタビューのラジオ放送は後日、ラグカフェ編集部のFacebook(
コチラ)から告知します。
1月12日(日)開幕する #世界一楽しもう を銘打ったトップリーグ 。
とっても賑やかなシーズンになりそうなので、私も存分に楽しみたいと思います♪
さの
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●FMラジオ番組「ラグビーカフェオンレディオ」
【2020年1月8日現在、全国7局ネット放送中】
☆TUE
調布FM(東京都調布市)★午後10:30~
☆THU
FMピッカラ(新潟県柏崎市)午後7:00~
FM JAIGO WAVE(青森県田舎館村)午後9:00~
鎌倉エフエム(神奈川県鎌倉市)★午後10:10~
☆FRI
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FMちゃお(大阪府八尾市)★午後9:00~
☆SAT
DARAZ FM(鳥取県米子市)★午前8:00~
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